【日 時】
令和5年3月21日(火) 13時30分~15時30分
【会 場】
牧水公園「ふるさとの家」ホール
【鼎談者】
岩永栖邨氏(書家 書道香瓔会理事長)
伊藤一彦氏(歌人 若山牧水記念文学館長)
那須文美氏(日向若山牧水顕彰会長)
昨年秋に開催した第72回牧水祭は、台風14号の接近に伴い、歌碑祭を主催者のみで行いました。
榎倉先生逝去1年を迎え、第2部「牧水を偲ぶ会」で予定していた鼎談を開催しました。
伊藤一彦氏と榎倉先生との出会いは、いまから20年ほど前。牧水についての講演を榎倉先生が聴いたことが始まりとのことでした。平成20年、東京で個展開催中の榎倉先生を那須文美氏と訪ね、牧水の故郷ここ坪谷でも個展を開催できないかを伺いました。すると、榎倉先生は「やりましょう」とひとこと。こうして坪谷に延べ3000人が来場する個展が開催されました。個展に合わせて伊藤氏と榎倉先生の対談
(伊藤一彦氏) が組まれ、その告知をすると申込が殺到し、急
遽、座席を増設するほどの大盛況でした。
その後も榎倉先生は坪谷をはじめ、牧水ゆかりの地を訪ね、そこで得た感興を筆に乗せて作品を創作されていきました。ある時、「ヤマザクラを見に坪谷へ伺いたい。」と榎倉先生から那須氏に電話があり、しかし、スケジュールの都合で開花には少し早い時季に坪谷に来られました。お見えになった日、なんと坪谷のヤマザクラは咲き満ちたのでした。氏は「ヤマザクラが榎倉先生に合わせたのだ。」と驚いたそうで
(那須文美氏) す。
那須氏の手元には、折あるごとに榎倉先生から
書簡が送られ、「一番の宝物です。」と感慨深く
語られました。(那須氏への書簡は企画展示室前
廊下に展示しています。)
岩永氏は、榎倉先生との出会いを語られました。当時教職にあって書の指導法に悩まれていた氏が、たまたまテレビをつけると榎倉先生による書の番組が流れました。先生の筆の動きと分かりやすい解説に感動した氏は、すぐさま自宅を訪ねます。榎倉先生は、グループの垣根をなくした、皆で書の研鑽を積む場づくりを目指しており、それは氏が悩まれていた諸問題の出口でもありました。こうして、岩永氏はその後
(岩永栖邨氏) 長きにわたって指導を仰ぐこととなりました。
続いて、観覧者に配布された「榎倉香邨遺作選」をもとに、榎倉先生の作品解説を岩永氏が行いました。かな書は筆が縦に流れていくことが基本だけれども、榎倉先生は絶妙なタイミングで力強い横への運筆をとられる。それによって周囲の空気をかき混ぜる、という高度な表現技巧を自在に用いられるところが素晴らしいとのことでした。「現在行われている企画展では、それを存分に鑑賞することができるので、
ぜひ味わってもらいたい。」と仰いました。