酒田滞在二日 八日午前四時半河口を出る
渡津丸に乗って私は酒田を立った(中略)
日よく晴れて海は黒いほど碧い(中略)
天の一角には丁度いま別れて来た河口の濁りの様に
円を作ってうろこ雲が白々と輝き散っている
「北国紀行」より
渡津丸に乗って私は酒田を立った(中略)
日よく晴れて海は黒いほど碧い(中略)
天の一角には丁度いま別れて来た河口の濁りの様に
円を作ってうろこ雲が白々と輝き散っている
「北国紀行」より
砂山の蔭に早や奈りぬ何やらむ別れ能惜しき酒田の港
(砂山の蔭に早やなりぬ何やらむ別れの惜しき酒田の港) 牧水「さびしき樹木」より
(砂山の蔭に早やなりぬ何やらむ別れの惜しき酒田の港) 牧水「さびしき樹木」より
(画像提供/小谷哲朗さん)
【歌碑解説】
牧水は大正6年8月、秋田の歌会に出席した後、山形県酒田に向かいます。この歌は、次の目的地新潟へ向かう船上で詠まれました。
紀行文「羽後酒田港」の中で牧水は、「中学で地理を習い始めた頃、いつかは是非行ってみたいと思った三つの古い港があった」と書いており、その1つが羽後酒田港でした。
歌碑は酒田市によって港近くの日和山公園に建てられました。歌の筆蹟は地元書家によるものです。園内には斎藤茂吉ほか、酒田ゆかりの文人墨客の碑が各所に建てられています。



